
【月刊コラム「絵画のある暮らし」】#3
私が絵を描く理由
絵を描く側の話はあまり聞く機会もないかと思うので、絵描き柴田滋紀のあえてそっち側の話を書きたいと思います。
18歳で画家を志した頃、私が絵を描く理由は大きく二つありました。
ひとつは「死への恐怖」。
自分の生きたしるしを、何かこの世に残したかった。
もうひとつは、「夢中になれる感覚」。
自分の手で絵を描いたり、粘土をこねたりする時間は、頭の中が静かになって、気づけば無心になれる。手触りも含め、描くこと自体がとても気持ちよかったのです。
「にじいろクレヨン」という活動
予備校時代、学生時代はとにかくストイックに描き続けました。クロッキーは、10万枚近く描いたと思います。
やがて地元・石巻に戻ってからも、洋画家として作家活動を続け、少しずつ評価もいただけるようになっていきました。
けれど、東日本大震災が起きたとき、私は絵が描けなくなりました。物理的にも、精神的にも。
そんな時期に始めたのが、「にじいろクレヨン」という活動。
被災した子どもたちのための遊び場や居場所づくりでした。(にじいろクレヨンはこどぱにーの仲間です。震災から今日まで、石巻の子ども支援は川の向こう側はけろちゃんに任せて、西側はおんちゃんししょうが奮闘することになります。ちなみに現在けろちゃんはにじいろクレヨンの理事。)
そこで出会った子どもたちが、何のためらいもなく、のびのびと絵を描き、自分の気持ちを表現している姿に、私はハッとさせられました。
ああ、絵ってこうやって描いていいんだ。
絵を描くことって、こんなに楽しくて自由で、心を癒してくれるんだ。
三つ目の理由
そのときから、「描く意味」が少しずつ変わっていきました。
そしていま、三つ目の理由があります。
「自分の絵を、本当に欲しいと思ってくれる人のために描きたい」
それは、大人でも、子どもでも、どんな人でも構いません。
お金がないなら、あげたって構わない。
私の絵で誰かが元気になったり、ふっと心が軽くなったりしたら、それ以上の喜びはありません。
絵は、ただ壁に飾るものではなく、日々の暮らしの中で、心をそっと支えてくれる存在なのかもしれません。
そう思えるようになったのは、震災を経験し、子どもたちと出会い、そして「誰かのために描く」という想いにたどり着いたからです。
暮らしの中に絵があること。
それは「生きる」ということそのものを、少しだけ優しく、あたたかくしてくれる気がしています。
7月の著者プロフィール
柴田滋紀
画家。宮城県石巻市出身
2002年 日本大学大学院芸術学専攻科修了
2005年 石巻市美術展最高賞 チェコ・日本20人展出品
2006年 河北美術展・福島県知事賞
2009年2010年 日洋展・日洋賞
2011年 宮城県芸術選奨新人賞受賞
2025年 La Maison Lose(フランス、オーベルシュルオワーズ)にて作品展